がりつうトップ > 白湯山・高湯山信仰 >白湯山信仰について | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
白湯山信仰について |
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白湯山は、茶臼岳の八合目西に面したところで、山ではなく温泉の湧出源で、「御宝前」といい那須町湯本に属する。江戸時代から昭和初期に至る長い間、山岳宗教の霊場として多くの参詣者があった。那須塩原市野間の「大野家文書」の白湯山由来記によると、寛文12年(1672)、板室の五郎左衛門が那須岳に熊狩りに行った際に、仏菩薩に会った不思議な体験を穴沢出身の行者宗海に話し、もう一度2人でその場所を訪れる。するとやはり紫雲靉靆(しうんあいたい)、仏菩薩の姿現れ御来光が射した。宗海はこの場所を行人拝所とし、白湯山と名付けた、とある。白湯山権現を祀った権現御宝前のほかに18の拝所を創った。三斗小屋村の元五郎左衛門の土地に行寺を建て(社務所の場所がそうか?)山開きの際に上がってきて、山止めで降りて野間村西光院に住んだ。山開きを4月8日、山止めを8月8日とし、この間に各地の信者は百人講と称する団体で訪れ、「先達」に案内されて参詣した。参詣は白湯山だけでなく、「三山がけ」と称して白湯山・月山(茶臼岳)・旭岳の三山を、途中にある36ヶ所の拝所を参拝しながら上るのが一般的であった。この三山は出羽三山(湯殿山・月山・羽黒山)の信仰を勧請したもので、白湯山信仰は、湯殿山信仰を中心とした信仰を勧請したものらしい。 宗海・五郎左衛門 が開いた道は三斗小屋宿を起点としたもので、登り口を三斗小屋口、または表口と言った。そのため三斗小屋宿には白湯山信仰に関する灯籠や塔碑、垢離場が存在する。また表口の一の木戸である板室本村にも大日如来像や碑がある。 一方 那須湯本を起点とする道も開かれ、その登り口を湯本口(裏口)と言った。湯本口からは白湯山を高湯山といった。 |
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那須嶽信仰関連年表 □ 高湯山信仰について □ 宿内配置図 |