銘文 |
[正面]
庚申供養塔
[右]
右 大田原道
[左]
左 石林道
講中十八人
[裏面]
元文五申歳
十月吉日 |
備考 |
原街道石林通りと奥州荷物街道が分岐する追分の道標である。石林への道は、阿弥陀仏の道標となんじゃもんじゃを通り、那須清峰高校と大山小の間の道を進んで石林の集落へ向かっている。「石林道」としたのは、この塔碑建立時原街道のメインルートが石林通りにシフトしていたためなのだろうか?それとももっと手前で槻沢通りと分かれたことを意味しているのか?平沢から箒川沿いにたつ道を上がっていけば薄葉で原街道槻沢通りに合わさる。
南下する道は、矢板市豊田の将軍塚の北側を回り、鷲宿を通って阿久津河岸へ出る原街道だ。このルートは奥州街道の脇街道として重要な位置を占めていた。坂上田村麻呂の蝦夷地平定遠征、豊臣秀吉の奥州討伐の際に通った道もこれであると推察される。 |