銘文 |
[正面]
右 日光みち
左 うちゑ 道
[右]
たかのす村
享保九天
[左]
甲辰 四月
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備考 |
この辺一帯は、現在の道より焼く1m低い湿地帯で、牛馬の通行にはことに困難であったとか。大型農道(ライスライン)に沿って相当の湧水があったのではないか。(故大田原晴雄氏「大田原の道標」調査書)
日光道は、ここ鷹巣から薄葉で旧日光北街道に合流する道で、うちゑ(氏家)道は、平沢の庚申供養塔で原街道石林通りに合流、箒川を渡り将軍塚、鷲宿から阿久津河岸に通じる道だ。平沢からこちらはいわゆる奥州荷物街道と呼ばれた道で、大田原宿から氏家に通じる最も近いルートだ。道標付近から北へ逸れて湯泉神社参道と交差して阿波原地蔵前に出る。道標付近は住宅が建っているが、湯泉神社の杜付近は作業道として跡を辿ることができる。
(2008.07撮影)
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