銘文 |
[正面]
天保三壬年辰霜月吉日
二十三夜碣
東霍 山人拝書
[台石]
右いしがみ
会津
願主
阿美八右衛門
黒崎利兵衛
君島徳右衛門
石寄進
小林五良右衛門
願主世話人
君島保兵衛
渡辺忠右衛門
左中むら
いづみ道 |
備考 |
矢板に行き先「会津」の道標がある。しかも会津中街道筋ではない安沢にだ。ここ安沢谷中に、「安沢の金袋」と呼ばれた江戸期〜明治期に繁栄を誇った商家の「萬屋」と「島屋」があった。この商家は江戸期県北一の繁盛店として近隣より多くの集客があった。萬屋は番頭30余名を抱え、会津田島地方まで商取引をする豪商であった。萬屋と島屋の買い付け出張のために、街道沿いに宿屋2軒と居酒屋2軒があったという。また街道沿いの地域で語られたもの語りに萬屋の名前が登場するなど、その影響力、ネームバリューは相当なものであった。(もの語り1・2)
幕末水戸天狗党が川崎宿を通過する際に、首領武田耕雲斎は家来十数名とともに萬屋に押し入り、軍資金1000両を獲得した(ギヤマン事件)。また慶応3年中村を拠点に御前原一揆が起こった際、島屋徳兵衛・萬屋利兵衛宅を襲い、多額の金品と米・味噌を強奪したという。
同じ泉街道沿いのすぐそばに中坪の道標がある。 |