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沼ッ原の子守石
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正面 | 右 |
名称 | 沼ッ原の子守石 | 所在地 | 那須塩原市板室 沼っ原 |
文献 | 那須山麓の民俗 | 経緯度 | 北緯37度6分33秒,東経139度55分37秒 |
説明 |
自然石 茶臼嶽の噴火で降った岩石か? |
板室本村に伝わる民話「子守石の伝説」 |
沼原という沼があったが、山の変化で水がなくなった。そこにはたいした主(ぬし)がいた。その主が水が無くなって人里に出ていって、安沢の万屋という家に行った。万屋は呉服屋で大尽様だった。たった一人太郎兵衛という跡取りだけ残して皆死んでしまった。
ある日、日の暮れにお姫様が宿にとりおくれたが、一晩泊めてくれと言ってきた。太郎兵衛がお泊まんなんしょといい、一晩、二晩泊りしているうち、子供をかかえた。私がお産する時は八畳座敷一間貸してくれ。そして絶対見ないでくれという。そういわれるとかえってみたくなり、すきまかふし穴からのぞいた。中では大きな蛇がとぐろをまいて、その真中さ子供をおいて、ペロッ、ペロッ、となめていた。嫁さんの方は見られたことに気づいて、後で、ああいう姿なのに、男女の交わりができて、思い子が出来たのに、もうこの家にはいられないといって、ひま逃げをしられた。その時、この玉を一つおいていくから、これをなめているうちに、子供は大きくなるからといって出て行った。出たけれど、玉一つでは充分に大きくならない。今一度母親と引き逢わせてお乳をのませてもらおうと沼原にやってきて、石に腰かけて子守をしていた。すると、いいお天気なのに、急に雲が出て、霧がまいてきた。沼原の真中から、スーッとでてきて、ごくろうだったが、いんことができねから、今一つ玉をやる。この玉は実は私の目の玉で、もう目が失くなって、日の暮れたも、明け方わかんねから、暮れ六つ、明け六つの鐘を鳴らして下さいといった。それから必ず朝夕鐘をつくことになった。 |