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石上国道四号線の道標

     
 
正面
 
     
 
裏面
名称 石上国道四号線の道標 所在地 大田原市上石上 R4と塩原道の分岐点
造立年月日 大正15年(1926)10月 経緯度 北緯36度51分30秒,東経139度56分37秒
形状(高・幅・厚) ・・cm 文献

「那須文化研究」大田原の道標
大田原の記念碑

銘文

[正面]
       西那須野 黒 
奥羽街道 磯 白河 福嶋 
       仙臺に至る
[左] 
       大貫 高阿津
塩原街道 
        関谷 塩原に至る

[右] 
       矢板 氏家 
東京街道 
       宇都宮 東京にいたる

[裏]
大正十五年十月三十一日
野崎村青年團上石上支部建

備考 新陸羽街道と大貫街道の分岐点に立つ。奥羽(新陸羽)街道は明治17年(1884)に当時栃木県令だった三島通庸が開いた。黒磯から上石上の間はこの時に新しく開かれた道だ。現在では三島通庸が開削した三方道路の三島十字路から塩原に向かう道(現在はR400)を塩原街道と呼んでいるが、かつては塩原街道といえば石上から大貫を通り関谷に至るこの道のことを言った。この街道は関谷や塩原につながる道として江戸期から存在した。会津西街道塩原通りのルートである。会津中街道は当初は河岸段丘下の「たてみち」を通ったが、いつしか山田街道から現在のR4の元になった下石上の集落を通り、この道標の地点から大貫街道を北上するルートになった。ちょうどこの道標の前、大貫街道をはさんだ向かい側に下の問屋があった。
 
 
 
 
所在地地図
 

 

     
 
奥羽(陸羽)街道
 
 
 
 
会津中街道