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山田街道とたてみち
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R4から山田街道の入口 |
ほ場された新たてみち入口
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名称 | 山田街道とたてみち | 所在地 | 大田原市下石上〜上石上 |
文献 |
「会津中街道赤田一里塚」
佐藤栄一 「おらがふるさと野崎道の史跡散歩」束原昇 |
経緯度 | |
説明 |
山田宿から箒川を渡り、石上宿に向かう道が「山田街道」である。明40測図の5万分1地形図塩原にも箒川の金和崎岩より上流に東西に道が走っている。
現在もほ場されまっすぐになった道が存在する。山田街道はそのままR4にぶつかる。 会津中街道は当初 山田街道の途中から上石上方面に向かって北上するルートだった。その南北の道が
いわゆる「たてみち」である。現在はほ場された「新たてみち」が用水路脇をとおって伊佐野街道まで抜けている。「旧たてみち」は墓地の十字路から数メートル入ったあたりから右へ分岐した畦道と思われる。旧たてみちは、家の裏や田んぼのへりを通って、R4沿いに並ぶ農家の作業道と幾箇所かで交差している。作業道とぶつかる部分にいくつか馬頭観音が建っており、旧道跡のおもかげを残している。それらの馬頭観音の建立は大正時代である。さらに進むと晴風園の敷地にぶつかる。聞き取りによると晴風園あたりに石上の一里塚があったらしい。晴風園ができる前は、一里塚の前に石積みの一里塚の碑があったというが、晴風園の建設に伴い整地してしまったそうだ。晴風園
を越えて林を抜けると、また馬頭観音があり、それ以上先は畦道もなくなり、 土手の段差があるものの旧道跡は土地の境界線としてしか残っていないようだ。間をあけて全超寺裏に街道跡を元にしたと思われる作業道があり、ここにも大正時代の馬頭観音がふたつ存在する。「会津中街道赤田一里塚」
によれば、R4と平行して進んでいたたてみちから上の問屋・本陣跡の小野崎家付近で右折して大貫街道に出てくる。 この右折の道が伊佐野道(正覚院法善寺前に出る道)かどうかは不明である。
「おらがふるさと野崎道の史跡散歩」ではそのまままっすぐ 北上し、上石上の寒念仏道標のところにつながっている。つまり、もともとの会津中街道沿いに問屋はなかったということなのか。当初は箒川に沿ったたてみちを通っていたが、そのうち都合でたてみちを通らずに山田街道をまっすぐ行く高台のR4の元となった「宿場通り」に移ったようだ。考えられる原因は、箒川の氾濫がひんぱんにあったとか、下の問屋の営業開始によるルートの変更だろうか。 |
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ほ場された道から外れたたてみち旧街道跡
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超全寺裏のたてみち旧街道跡
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石上宿下の問屋があった場所
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石上宿上の問屋だった小野崎家
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