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住吉町の道標

     
 
正面
 
     
 
名称 住吉町の道標 所在地

大田原市住吉町1-15-1
  元大田原高等技芸学校前

造立年月日 享保19年(1734)12月 経緯度 北緯36度52分5秒,東経140度1分13秒
形状(高・幅・厚) 80cm・  ・ 文献

「那須文化研究」大田原の道標(二)
大田原の記念碑

銘文

[正面] 

  右 なすゆ道
  左 志を原道
[右]

        享保十九甲寅天
   キリーク 女人念佛供養塔
       十二月十五日 下町
[左]

  同行二人 

  右 大貫道

   左 石上道

(「大田原の記念碑」では 

 左 石林道  となっている)

備考

・もともとここにあったものではない
・近くに馬つなぎが残っているところをみると、立場でもあったところかもしれない
・この道標の所持者は宇都宮市砥上団地小林氏であるというが、このことは少しおかしい。(以上「大田原の道標」より) 

「大田原の記念碑」では「石上道」を「石林道」と判読している。実際の碑文は風化が著しく読み取ることが出来ない。

なすゆ道は、奥州道中経由で北上し、例えば 練貫永代常夜燈の道標で那須嶽方面に向かうルートか。志を原道は紫塚から石林を通り、 石林の大乗妙典六十六部供養塔で「志をハらみち」に向かうルートであろう。
石上道と大貫道は本町と末広町の境界のいわゆる「新地」で西那須野駅方面(大貫道)と鉄砲町方面に分岐することを指していると思われる。鉄砲町方面にさらに50mほど行くと常磐が丘の脇を通る石上方面への道と分岐する。

この道標は元々どこにあったものなのか?
市役所通りの十字路か?市役所通りの神明町方面は近代になってから通ったバイパスだそうなので多分違う。ベイシア裏の道(石林道)との十字路にあった可能性が高い。

 
 
 
 
所在地地図