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久保家の会津中街道道標

 

名称 久保家の会津中街道道標 所在地 那須塩原市四区町 久保宅 庭
造立年月日 江戸時代 経緯度  
形状(高・幅・厚) 55cm・  ・ 文献 西那須野の記念碑 No.115
銘文

  右石上 日光十六リ

       江戸三十六リ

                   道

  左 佐久山三リ

         水戸二十り

備考

もともと建物の西側の畑にあったものを明治時代に現在地に移したものらしい。定説として会津中街道とタツ道の交差部分にあった道標か。現在移動されている久保氏宅から400mほど南の場所を、会津中街道が通っていた。開墾のほ場整備の際に移動されたものか。

問題は道標があった地点からそれぞれの目的地の距離数が合致するかなのだが、江戸から三十六里、36番目の一里塚は石上(晴風園付近)である。

会津中街道倶楽部の伊藤氏は、四区と赤田の境界線が、道路ではなく墓地横を通る畦道を境にしていることに疑問を持ち、それは明治の開拓以前に通っていた道を境とした区分けだったのではないか、すなわちこれが佐久山を通り水戸まで通じる「立道」なのではないかという仮説をたてている。那須野が原博物館所蔵の「那須北地方図」(明治3年)にその道筋が描かれている。


那須北地方図(部分) 水平に走っているのが会津中街道 赤田山の左に垂直に延びているのがタツ道。この交差部分にあった道標と思われる。下大貫と松方の一里塚も描かれている。


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