銘文 |
庚申
奉
供養
[台座]
右 大田原道
左 さむ
□□□□道
[台座右側]
十月八日
享保七壬寅天
□□元右衛門
同 吉之□
吉右衛門
施主 沼野井 |
備考 |
場所は中薄葉公民館近く、日光北街道から桜ゴムに向かう細い道を入っていく。上記文献での調査の頃は、この辺りの九戸が構成員となる庚申講の石仏だと書いてある。近所の方に聞いたところ、今でも庚申講は行われているとのことだった。この方のお宅は農業を辞めてしまったので、今は講に参加していないとのこと。
台座部分、三猿の両側に行き先が書いてあるが、右の「大田原道」はなんとか読めるものの、左がまったく判読出来ない。大田原氏は「左 さむ □□□□道」と読めたようだが。
大田原氏の聞き取りによると、元々現在の位置にあったものではなく、「公民館の敷地一帯は村の共有地で、そこから現在の位置に持ってきたらしいが、それ以前はわからない。以前年寄りの人から現在の十文字の精米所の所にあったのだというのを聞いたことがあるような気がする」とのことだ。すると、左は沢・矢板方面だけでなく、石上・関谷方面ということもありえるのか?「大田原道」は日光北街道を指すのか、それとも鷹巣の道標1を通る奥州荷物街道を指すのか?
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