銘文 |
[正面]
享保十二年
庚申供養塔
十一月十日
[右]
右 をきのめ道 右太ェ門
[左]
左 ふくはら道 文右ェ門
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備考 |
この道標は越沼氏が昭和の初頃、自宅の前の畑から出土したものを建てたものであるといわれる。 福原からの荷物を那須野方面に輸送するには、大田原で奥州荷物街道と合し石林から槻沢に出たようで、このことを教えてくれる道標である。旧字は菖蒲沢。荻野目道は、コンビニの右側に残る小道を進む。福原道は、コンビニ左側のグリーンパークに向かう道で、箒川を渡る。
コンビニ脇に残る小道から400号を渡り、刈切地蔵前、不退寺のある武家屋敷を通り、461号を渡ってベイシア大田原店の裏を行くと、戊辰戦争で会津兵と小競り合いのあった経塚のある大田原道/石林道で、原街道石林通りにまっすぐ通じていて石林の道標に行き着く。 |