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下平吉ノ目の供養塔 

正面

名称 下平吉ノ目の供養塔 
所在地

那須町大字伊王野下平吉ノ目 御幣石橋分岐

造立年月日 寛政7年(1795)

経緯度

北緯36度57分57秒、東経140度11分15秒

形状(高・幅・厚) 63・60・22cm    文献 「簑沢の歴史おぼえ書き」佐藤賢三著
銘文

[正面]
右 あづさ たなくら
南無阿弥陀佛
左 ミのさハ せき山

[裏面]
       下平
        三森市右衛門
寛政七乙卯正月廿六日
    蓑沢 薄葉三右衛門
             娘


備考


中梓の棚倉道(黒磯−棚倉線)との分岐の手前、下平から御幣石(おんべし)橋で三蔵川を渡り下梓集落を経由して棚倉道に合流する道がある。御幣石橋の手前の分岐のガードレールの外にこの供養塔がある。
この供養塔は「駆落ち道標」といい、地元にはこんな伝説が残っている。三森家の息子と薄葉家の娘が恋仲になり、夜に逢引を重ねていたのを家の者が怪しみ、正月休みに密会していた二人を三森家の親が見つけ切り殺したという。親の許可のない恋愛はご法度の時代、ともに身分の高い家柄で、親としては許すわけにはいかなかったらしい。背面に刻まれた名前は男女の親の名で、この石は村人が二人の死を哀れんで建立したものだという。

棚倉街道はこの先の中梓橋から渡る道だが、その分岐には庚申塔と馬頭尊があるが道標にはなっていない。
(2009.02撮影)


御幣石橋を渡って下梓・中梓の集落へ

現在の道標の所在地図