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梨の木久保の道標

     
 
名称 梨の木久保の道標 所在地 大田原市佐久山梨の木久保 小川道と大神道の分岐点
造立年月日  
経緯度
北緯36度48分10秒,東経140度1分34秒
形状(高・幅・厚)   文献 「那須文化研究」大田原の道標(一)78p
銘文

[正面]
右 芳井 小川

[右]
   大神 新宿 蛭田
左              道
   福原 品川 佐良土

[左]
向 佐久山       道 
  野崎 矢板
        大田原

備考

みつかりませんでした。

梨の木久保の集落の端、小川道と大神道の分岐点にあったらしい。H17調査の現地聞き込みによるとS40年代まではあったような気がするとのことだ。上記文献にも写真はなくイラストのみなので、その当時も既に撤去された後だったのかもしれない。文献の地形図のプロット位置が大神新田のほうだったので、そちらも確認したが存在しなかった。

対面丘の上の畑所有者の女性にも話を聞いたが、道標よりも向かいの「寄付記念碑」の話になってしまった。(下へ)

 
     
 
この分岐点にあったらしい
正面の寄付記念塔
 
     
 
所在地地図
 
 
 
 

おばあさんが農作業の手を休めて、一緒に藪の中の記念塔を見に行ってくれた。おばあさんの話と碑文からすると、この辺りの地主だった人が、佐久山中学校を建てるにあたって土地を寄付したということらしい。碑文より以前はこの辺の小字が新廟所だったことがわかる。素直に墓地があった場所と解釈していいのだろうか?なんとなく聞きづらかったのでおばあさんには聞かなかった。

詳しい情報を求めて「大田原の記念碑」をチェックするも載っていなかった。佐久山中学校が関係してくるのなら、学校創立記念誌などに載っているだろうと思うので確認してみるつもりだ。

この碑の近くに三本松と言われた大きな木が生えていたのだそうだ。この碑のすぐ隣の家は空き家なのだが、主人が盆栽が趣味で、たくさん鉢を並べていた庭に盗難防止で柵を巡らせてお稲荷さんを祀っていた、と社があった辺りを指さした。庭に記念碑があるのも変な話だ。家と逆隣はNTTの施設になっている。