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東町の庚申供養塔

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正面

名称 東町の庚申塔供養塔 所在地 那須塩原市南郷屋 南郷屋公民館
造立年月日 宝暦2年(1752)11月3日 経緯度 北緯36度53分31秒,東経139度59分21秒
形状(高・幅・厚) 86cm・60cm・ 文献 西那須野の記念碑No.110
銘文

[正面]
宝暦二申年
梵字(ベイ)庚申供養
十一月三日

[左] 左 うすば

[右] 右 石上

備考 以前は東町の妙要寺墓地沿いの大田原道沿いに北東を向いて建っていたが、現在は近くの公民館に設置されている。大田原道はJR宇都宮線から300Mの区間が残っており、近隣にTSUTAYAが出来た際も、町道として残したため駐車場の中を突き抜けて通っている。
「左うすば」は、南郷屋一丁目と二丁目の境を通る原街道槻沢通りを指しているのではない。この附近から妙要寺を巻くようにして、永田町の一本杉附近に通じる道がかつては存在していたようだ。旧八汐共同保育園前から佐藤医院前を通り、現在は通り抜け出来なくなったが一本杉稲荷前、要町通りを通って万マンション前五差路で原街道に合流する。原街道槻沢通りは薄葉に向かう道だ。
それでは「右石上」はどのような道なのだろう?

大田原道  画像の舗装から砂利道になるあたりの左側にあった。一時十字路の角にある地主さんが預かっていたらしい。その家のおばあちゃんはこの道を会津道と言っていた。戊辰戦争の際に会津軍が大田原城攻めの際に通ったのだ、と話してくれた。

所在地地図

薄葉道 左:旧八汐共同保育園前から妙要寺の東側に抜ける路地。上の画像大田原道に合流していた。 右:一本杉稲荷神社から要町通り、突当りが原街道と合流する五差路。かつて一本杉は、遠くからでも確認できる目印だったのだろう。