歌詞 |
♪ハァー 朝の出がけに
ハァー どの山見ても ヨイ
霧(雲)のかからね
ハァー 山はない ヨィー
♪片手に鎌もち 片手に砥石
浮気で どぐ気が 研ぎつかぬ
♪那須野が原より 日日の便り
いがずばなるまい 草刈りに
♪俺と行かぬか 鉄砲町裏へ
かしばみ食べたい 草刈りに
♪蝉は鳴けども 一日かぎり
鳴かない蛍は 夜明けまで
♪鳴くが情けか 鳴かぬが情けか
蝉と蛍の 情比べ
♪二ッが室から 大蛇がでても
草刈り通りは 止められぬ
♪青木 若目田 沼 小種島
なぜか滝岡 森のかげ
♪今かと思えば あの森かげに
ちらちら見える すげの笠
♪草刈りなじみを もたないものは
土用の竹の子 出たばかり
♪草刈り負けたら 七ぼう刈りな
それでも負けたら 鎌をとげ
♪おぼろ月夜も からりとさえて
通う私の邪魔をする
♪さえた月夜に うらみはないが
姿かくしの 雲ほしい
♪那須野が原より 加治屋を見れば
ほかに気はない 松ばかり
♪那須の与一は 三国一の
男美男で 旗男
♪ばかにしゃんすな 枯木だとても
藤がからまりゃ 花が咲く
♪しかとだきしめ しりもくもくと
不意に泣き出す夏の蝉
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解説 |
農民にとって草を刈り集めることは、家畜の飼料や田畑の肥料にするために、どうしても必要な作業だった。親園から西那須野にかけて奥州道中の西部は、西ノ原という広大な草原だった。親園の農民は、二ッ室・五本木・薄葉まで冬期を除いた春から秋まで、毎朝3時頃から草刈りに出かけていった。化学肥料や飼料が流通し始める明治の後期まで行われていたとのこと。近所の何軒かが共同で作業予定地まで行って作業をする。草の影で見えない相手と掛け合いで続けるこの唄は、若い男女にとって仕事の疲れも吹き飛ぶほどの喜びであったに違いない。
この唄は少なくとも江戸時代末期から唄われていたという。一説には親園(旧矢木沢村)が宿場として栄えていたころに唄われ始めたという。草刈りの行き帰り、作業中に掛け合いで唄われ、馬子唄風のゆったりしたテンポ。昭和37年に大田原市の無形文化財に指定された。
「鉄砲町」とは現大田原市美原町のこと。 「かしばみ」とは木の実で、昔はおやつに食べた甘い実だそうだ。鉄砲町裏に生えていた?
「二ッが室」は那須塩原市の二ッ室。鉄砲町の西。
後半は色恋な内容に。「土用の竹の子」ってナンダヨ?!
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