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末広町墓地の菩薩道標

     
 
左部分
正面
右部分
 
     
 
名称 末広菩薩の道標 所在地 大田原市末広2丁目の墓地
造立年月日 文化9年(1812) 経緯度 北緯36度51分46秒,東経140度1分12秒
形状(高・幅・厚)   文献 「今市ヨリ大田原通会津道見取絵図」解説
銘文

  □月二十三日 左 日光みち

 □化九壬申 □□ク山ミち

[台座]
□田屋藤四郎
中野屋忠治衛門
桔梗屋幸八
舛本屋要八
舛本屋浅助
亀田屋惣兵衛
福田屋□兼
中屋又蔵
□□屋忠兵衛

備考

まるみやさんより教えていただきました。

舟形光背の天左右が欠損
この辺では「地しるべ地蔵」と呼ばれていたらしい。 この墓地近くに奥州道中と日光北街道の合流点がある。現在の神明町交差点は大田原宿の番所があった場所で、相当の賑わいがあったはずだ。
道標と道中の安全を祈り、町の商人達が建てたもの。上記絵図を見ると、 奥州道中と日光北街道の合流点には、この観音像と道印石(道標)があった。観音像は奥州道中の角で、現在車修理の店がある辺りか。道印石が日光北街道の出口の角の呉服屋前にあったようだ。
もう一つの道印石は同じ場所に移動されている末広町墓地の南無阿弥陀仏道標である。

 
     
 
台座の寄進者名
神明町交差点 佐久山方面 左の車修理の店の角に道印石の記号が
 
 
 
 
現在の所在地地図
元々あった場所
 
     

 

     
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日光北街道