がりつうトップ那須野の道標大田原市の道標 > 大田原地区 > 七軒町の道標
 

七軒町の道標

     
 
 
 
     
 
名称 七軒町の庚申塔道標 所在地

大田原市若草 刈切地蔵堂墓地

造立年月日 大正九年(1920) 経緯度 北緯36度51分33秒,東経140度2分7秒
形状(高・幅・厚) 70cm・24cm・40cm 文献 「那須文化研究」大田原の道標(二)
銘文

[正面]

右 宇田川片府田福原

庚申塔

左 金丸原廠舎佐良土馬頭烏山道

[裏]

大正九申歳七軒庚申講

備考

佐藤電器前の交差点にある刈切地蔵堂石仏群の中の一つ。現在はすぐ前に別の石碑が固定されているので正面から撮影することができない。

元禄3年の知行地書状帳に「七軒町」の名が見え、江戸期は大田原城内と推定されている。明治初年七軒町村となったが、同8年に大田原宿の一部となったが地名通称として現在も使われている 。

明治43年、金丸原に第一四師団陸軍演習地が出来、陸軍演習廠舎ができたのが明治45年。 七軒町からだと、銘文の地名は南ないし南東の方向なので、現在の場所(R400と宇田川方面のY字路)で間違いないと思われ。

 
 
 
 
所在地地図