おばあさんが農作業の手を休めて、一緒に藪の中の記念塔を見に行ってくれた。おばあさんの話と碑文からすると、この辺りの地主だった人が、佐久山中学校を建てるにあたって土地を寄付したということらしい。碑文より以前はこの辺の小字が新廟所だったことがわかる。素直に墓地があった場所と解釈していいのだろうか?なんとなく聞きづらかったのでおばあさんには聞かなかった。
詳しい情報を求めて「大田原の記念碑」をチェックするも載っていなかった。佐久山中学校が関係してくるのなら、学校創立記念誌などに載っているだろうと思うので確認してみるつもりだ。
この碑の近くに三本松と言われた大きな木が生えていたのだそうだ。この碑のすぐ隣の家は空き家なのだが、主人が盆栽が趣味で、たくさん鉢を並べていた庭に盗難防止で柵を巡らせてお稲荷さんを祀っていた、と社があった辺りを指さした。庭に記念碑があるのも変な話だ。家と逆隣はNTTの施設になっている。 |