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鹿畑の道標

     
 
 
正面
 
 
     
 
名称 鹿畑の道標 所在地 大田原市鹿畑 根林氏宅生垣の内側
造立年月日

天明2年(1762)2月

経緯度 北緯36度50分31秒、東経140度4分15秒
形状(高・幅・厚) 66・23・22cm 文献  「那須文化研究」大田原の道標 (二) 
銘文

[正面]
            鹿畑村
       ヨリ
南 さら戸   水戸
       ヨリ   道
北 大田原  塩原

[右]
      ヨリ
西 さく山  日光道

[左]
東 くろ羽 ヨリ
      やみぞ道

[裏面]
  天明二
      寅二月吉日

備考

大田原氏が調査した頃は生垣の外側にコンクリで固めて建てていたようだが、あまりにも倒されてしまうため、生垣の内側に仕舞ったそうだ。今回訪れた時、刻字にチョークが入れられていて難儀した。洗浄キットも車載していたのだが、おうちの方立会いのもとの撮影だったので、そのまま撮影せざるを得なかった。自分も一時ロウ石を使っていたことがあるので、この行為者を責める立場にないのだが、「さら戸」部分は彫りも深いし、もっと冷静になれば・・。
南は、現在の舗装道路ではなく、鹿畑中部生活センターの建物脇から逸れる作業道のほうで、地元では「水戸街道」 と呼ばれていた。巻川に掛けられていた橋が無くなって以来、交通路としての機能は失われたという。品川開墾、ほ場以前は倉骨東部集落、あるいはR400沿い折橋集落のS字付近に合流していたのか。東は上野山の麓を通る金丸八幡宮、余瀬方面、法師峠越えの黒羽向町方面への道で、金丸兵舎があった時期は、この2間幅の道が県道だったそうだ。北はちょうど上奥沢の湯泉坂下(中田原荒屋敷)に出る。そのまま進むと奥州道中沿い明宿のカノ道の処に通じている。西は天満宮を左にみて段丘を越え、千丈橋で蛇尾川を渡り刈切、大田原宿に入る道が日光道で、現在のライスラインの元になったまっすぐ段丘を上がって蛇尾川を越え、親園に向かう道も存在したようだ。(2008.07撮影)

裏面
 
 
 
 
水戸街道と呼ばれた道 佐良土方面
中田原方面
ライスラインを渡り千丈橋方面 右手の森が天満宮
所在地地図