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黒磯郷土史研究会の「白湯山信仰解読資料(室井三代吉文書)」の中に「白湯山神社鳥居再建緒言」という版刷りの文書がある。それによると慶應四戊辰年の奥羽戦争(いわゆる戊辰戦争)の戦闘により破壊され、明治15年12月に鳥居再建の寄附募集を始めたという内容である。実際に再建されたのか、それとも結局再建されず、そのまま現在に至ったのかは今のところ不明である。 散らばるパーツの確認と採寸を行ったが、どうやら谷に落ちているものもあるようだ。 脇に建つのは文政6年(1823)に建てられた奉再顎碑である。これは、鳥居の額を新調した際の記念碑で、寄付者名が刻まれている。 なお、平成19年(2007)9月に北那須ライオンズクラブの三斗小屋宿跡環境整備事業として、この大鳥居の復元が行われた。崩落材の引上げ、台輪・差貫・楔などの新規作成、鉄芯補強、ボンド接着などを行い、かつての神々しい姿を取り戻した。