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三斗小屋宿の白湯山金燈籠

     
 
破損した二つを合わせたもの
レプリカ石灯籠
 
     
 
名称 三斗小屋宿の白湯山金燈籠 所在地 那須塩原市板室 三斗小屋宿跡
造立年月日 文政6年(1823) 経緯度

 

形状(高・幅・厚)  124・70・70 cm 文献  
銘文

[笠]
(十六八重表菊紋)

[胴柱]
    常燈

文政六年 

   常燈

癸未  七月十六日

  百人講中

[台石]
(願主 寄付者名多数)

備考

遅沢村百人講中により白湯山へ献納された金灯籠。
笠に十六八重表菊紋が入っているのが気になる。願主遅沢村近隣の井口慶乗院の 「菊家紋入供養塔」 寛文元年(1661)建立を思い出すが関連はあるのか?ついでに言及すると、菊家紋入供養塔は、大田原城を攻撃するために会津藩兵が移動中、井口を通過した際に、たまたま菊花紋入りの墓石を見つけ、真っ二つに壊して地中に埋めていったのだ。当然三斗小屋宿に駐留していた会津藩兵たちはこの灯籠を目にしていたはずだ。金燈籠とはいえなぎ倒していてもおかしくなかろう。

戦前大田原の宿内奥州街道に大きな灯籠があり、通称「金灯籠」と呼ばれて親しまれてきたが、戦時中に軍により徴発されてしまった。戦後再建が叫ばれ、たまたま同じ頃の作の似たデザインの灯籠が三斗小屋宿にあることに着目、これを設置していた。ただし、当時かなり破損がすすんでおり、一対の灯籠の使える部品を一基にまとめ修復し、大田原に持ってきたのだそうだ。その後大田原市の荒町地区で新しく再建し、借りていた灯籠は三斗小屋宿に戻された。
二つを一つに修復してしまったので、もう一つは 昭和60年北那須ライオンズクラブにより石製レプリカが作られた。

 
     
 
 

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