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一区水神の湧水



名称 一区水神の湧水 所在地 那須塩原市一区町
文献 西那須野町の湧水と小川 経緯度 北緯36度51分8秒,東経139度58分52秒
説明

原街道の槻沢通りは、薄葉高性寺裏から薄葉団地方向への小道が多少残っていおり、そこから先は常磐が丘と二つ室岳の間の割山道(二ッ室街道)に繋がるのだが、どのへんで合流するのかがいまいちはっきりしない。明治開拓以前この辺りは民家もなく大田原の農民には「二ッ室の草刈り場」と呼ばれ、作業唄にも地名がでてくる。道は水場と集落を結ぶので、一区水神の湧水付近を通ったと考える。現在の割山道との合流点は、加治屋堀以南であろうと結論づける。水場として重宝がられた反面、大水や洪水の時に難儀していたからこそ水源神を祀ったのであろう。明治35年の建立のようだ。
水源神の森の手前の出釜付近らしい場所は藪だったようだが、刈られて枯草の根元が残っている。かつては200mほど下流部より水が流れていて、新日光北街道(R461)方向に堀形があったようだ。水源神の森のすぐ隣まで宅地になっており、下流部は畑となっている。この近くが実家の私の父によると、かつてはこの付近に狐が出て、夜になると家の近くで吠えていたそうだ。

割山道を南に行くと一区町の道標1のある新日光北街道(R461)との十字路に通じる。そこから先は、明治13年に那須開墾社が最初に事務所を構えた第一農場の場所、一本木で、今は親王台が立つ。さらに行くと日光北街道と原街道の石林通りの十字路で、阿弥陀仏の道標 が立つ。 ここまでの道はサカエ農場と第一農場の作業道であったと考えられる。


水源神の建つ森、というか木立?すぐ隣に民家
中央奥が水源神の建つ森
那須開墾社一本木農場跡地 左手が親王台
牛道といわれた作業道沿いの旧サカエ農場の建物

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