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山田宿下の問屋の千年カヤ

矢板市天然記念物指定の千年カヤ


名称 山田宿下の問屋の千年カヤ 所在地 矢板市山田
文献 「天狗党が往く」 光武敏郎
経緯度
 
説明

元治元年(1864)11月、武田耕雲斎率いる天狗党一千余名による西上の大行軍が那須野ヶ原を通っている。原街道石林宿を通過し、頭無付近から間道(大田原〜下石上を通る石上道・ひやり道か)を通って5日会津中街道の下石上宿に到着する。山田街道を行き箒川を渡り山田宿で大休止をとった。山田宿下の問屋の伊藤次郎右衛門宅の書院で耕雲斎ら幹部の軍議が行われる。西上途中に日光廟を詣でるか否かについて多くに時間が割かれた。ちょうど書院の前にこの千年カヤがあったという。下の問屋伊藤家の建物は明治10年(1877)の大火で消失した。
結局天狗党一行は日光廟には向かわず、川崎反町から高塩・田所を通り会津西街道大宮宿へ向かった。川崎反町での隊列を整える一休みの際、若い浪士たち数人が三キロ南東の安沢にある豪商万屋利兵衛宅に出向き、ギヤマン障子や高価な屏風などを叩き壊して引き上げてきた。物価高騰で庶民が苦しんでいるなか、大儲けをしている悪徳(?)商人に若い浪士たちは我慢ならなかったのか。



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