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笹野曽里の一里塚
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名称 | 笹野曽里の一里塚 | 所在地 | 那須塩原市百村 笹野曽里 |
文献 | 黒磯市誌 | 経緯度 | 北緯37度0分43秒,東経139度55分57秒 |
説明 |
木綿畑から熊川を渡り、藪をかいて林を抜けると、そこは百村、笹野曽里原と呼ばれた場所だ。飼料用のトウモロコシ畑の中にこんもりと塚がある。笹野曽里の西塚で直径五間(約9m)、高さ一尺(約3m)と作られた当初の原型に近い大きさである。脇の林の中に藪に覆われて東塚があり、その間の距離は約25mある。夏場には西塚はトウモロコシ畑の中に隠れてしまうので、収穫後の秋以降に訪れるといいだろう。冬の雪景色もさぞや素敵であろうなあ。戊辰戦争の際、笹野曽里原には会津幕軍により「いくさどて」(土塁)が作られていて、百村笠木の名主渡辺甚五右衛門の家を陣所としていた。 |
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トウモロコシ畑の中の西塚
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藪のなかの東塚
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