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中峠の観音像

正面

名称 中峠の観音像
所在地

福島県南会津郡下郷町大字音金 中峠

造立年月日 宝暦5年(1755)
経緯度
 
形状(高・幅・厚) 55・28・ cm
文献
 
銘文

[正面]
宝暦五
のキハ村 幸左ェ門


備考 会津藩有賀左司馬戦死の地と伝えられる中峠の場所には、砲弾に刳りぬかれた楢の巨木と、一基の石仏があったという。永らくその場所は不明であったが、矢板岳友会の小林さんが発見したこれこそが、そうなのではないか。石仏の隣に木の柱が建てられていて、かつてこの場所を訪れ、戦死の地としてか、単に中峠であると特定した人がいたことを匂わせる。
また距離的に中峠付近に一里塚がある可能性が高く、この観音像のある隆起と街道道跡を挟んだ処にも人工的に盛り上げたと感じられなくもない隆起がある。 個人的にはこれを「中峠の一里塚」と断定する。

すこし手前の鏡沼には伝説が残されており、大峠を越えた沼ッ原にも似通った話が伝わっている。この伝説は安澤の萬屋が出てくるもので、会津中街道を使った交易の状況を考える上で興味深い。今回は「下郷町史5民俗編」に紹介されている伝説を掲載する。

野際に伝わる民話「大繁盛の呉服屋」

いつのころからか、下野国那須の呉服屋が鏡沼のほとりを通りかかって、オセコが宮の近くに行くと、美しい娘が腰をかけて休んでいた。呉服屋が声をかけると、娘は「私もその方に行くので連れていってたもれ」と頼んだ。
道々一緒に歩いてアンザの呉服店よろづ屋に着いたら暗くなってしまった。泊めて下さいと頼んで泊まった。そして娘は縁あって呉服屋の嫁におさまった。
そのうち妊娠して出産日になったら、女は「二一日間 は産屋(うぶや)を見ないでたもれ」と固く夫に申し出た。見るなと言われると見たいのが人情、夫が戸の隙間からのぞいて見ると、八畳の間いっぱいになって、大蛇が可愛い男の子をあやしていた。
正体を見やぶられた大蛇は人の姿になって、「子供は幸い丈夫だから、私は出ていきます。 子供が泣くときは、これをなめさせて下さい」と言って、なめる両端がふくれて丸くなっているオモチャのようなものを置いて、涙ながらに鏡沼に帰っていった。
夫は子供が三歳のとき、鏡沼のほとりに来たら、娘姿で大蛇が現れ、再会を喜びながらも「あとは来ないでください」と言って、 黒雲に乗って身を隠した。
その後何年かすぎて、そのアンザの呉服店を訪れてみたら、大変な繁盛振りだったそうだ。家の門には見事な大蛇の彫刻が飾られてあったという。
その国境の水上(みなかみ)鏡沼に雨乞いに行ったとき、音金の男が沼で褌(ふんどし)を洗ったら、水がクルクルまわり出して、水中に 褌が引き込まれてしまった。そして、急にジーンとからだ中に悪寒がしみ渡り、電気をかけられたように心がしびれて、地獄か極楽の境をさまよっているような気分をどうすることもできなかったという。


石仏の間には木の柱が建てられている
これも石仏のようだが


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